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共同体強化

地域を強くする

著者: フィル・バートル教授

和訳:益子かさり


訓練のための配布資料

この方法論の基本となった論理

なぜ共同体強化なのか?

私たちが単語を使うとき、それが知らずの間に意図しない意味を持つことがあります。私たちが使う単語によって連想される感情や仮定もあります。

例えば「貧困」という言葉について考えてみましょう。補助の産業(発展を助成する)では、貧困との戦争において自分たちが兵士であるという見方があります。 貧困 は私たちが退治したいものです。しかし貧困の正反対とは何でしょう? です。自分たちが「富の味方をする兵士」であるのを認めるのを私たちはなぜか拒みます。なぜでしょう?

なぜなら貧困と富が正反対である一方、それらの単語によって連想される仮定・感情・価値観があり、その公然の定義によって伝達されるからです。貧しい人を助けることは倫理的に大丈夫なのですが、自分たちが「富を得るために彼らを助けている」という事実を意識することを私たちは拒みます。

収入の取得 についてのモジュールにおいても(目的が単なる金銭の移動ではなく富の取得であるため)「富の取得」の方が経済的に正しい言葉のように思えますが、それよりも「収入の取得」の方が適切なのです。「富」という言葉の裏には「巨大な裕福さ」を手に入れたいという感情の重荷が隠されているのです。

富がまんべんなく行き渡っていなく、一部の人が他人より多くの富を持っているから、貧困が問題なのです。もし純粋な公平さが可能なら(もちろん不可能ですが)貧困は問題にならないのです。

「富」から頻繁に関連づけられるのは「権力」と「容量」です。この3つの内、どれか一つでも多く持っている共同体または個人は、大抵三つとも多く持っているものです。逆に持っている富が少ない人は、権力も容量も同様に少なくなります。ですから貧しく社会から置き去りにされた共同体の市民の生活基準を改善するために、その富、権力、容量を増やす必要があるのです。

しかし、やり過ぎてはいけません。

貧しい人を助けるのは善いことだと考えられていますが、私たちは彼らに(多くても自分ほどは)裕福にならないで欲しいという隠された欲望を持っています。私たちはそれを認めるのを拒んでいます。

私たちの感情が隠されたもう一つの言葉とは「民主主義」です。見るからに私たちはそれに賛成のようです。

しかし、本当にそうでしょうか?

民主主義の意味を注意深く考えると、特にそれが私たちが相対的な権力(または富や容量)を諦めねばならないということであるとき、私たちが常にそれを望んでいるわけではないと明らかになります。

民主主義に賛同すると言う多くの人は、人々が候補者に投票し、最も多くの投票を得た候補者に権力を持たせ、人々の代表をさせる、というシステムを好んでいるのです。これは「代表制民主主義」です。それは矛盾した言葉です。「民主主義」の意味は「人々が権力を持つ」ということです。しかし代表者を選出する作業は、人々から権力を取り上げ、その権力を代表者に与えているのです。

共同体を 強化 したいと言うとき、私たちはそれを 民主化 したいという意味なのです。しかしそれは必ずしも(英米の政治モデルのように)市民から代表者を投票によって選出させねばならないということではありません。私たちが実現させたいのは民衆(個人の集まりではなく)全体が総じて権力を持つことです。そして共同体がより多くの権力、富、容量を持つための方法を見つけたいのです。

そうなれば、私たちの援助を最も必要とするのは、権力・富・容量の最も少ない共同体です。

そして私たちは自分たちの「慈善の寄付を続けられるために彼らを貧しく無力で不能なままにしておきたい」という隠された欲望を認識しておくべきです。もし彼らを純粋に強化したいのであれば、彼らが慈善から独立するような方法、彼らが自立するような方法、彼らが援助なしでも自らの発展を維持できるような方法で、彼らを助けなければいけません。私たちが富や権力を欲しいのは通常で自然なことです。それを恥じる必要はありません。しかし「貧しい人々が長期的に貧しく無力で依存的なままでいる」ような方法で彼らを助けるべきでは無いということを念頭に入れておいて下さい。

このサイト上の訓練教材は、訓練士による学習を主な狙いとしているため、理論やイデオロギーよりも方法や技術を強調しています。しかしそれらの方法を効果的に使うためには、その裏にある道理、それに適用される法則、その長期的な影響などを理解する必要があります。さらに私たちが自らの活動の目的と動機を常に考察していることが重要です。

練習することでより強くなる:

このサイト上で何回も言っているように、依存を促すようなアプローチではなく、強化のアプローチをあなたが採用することが推奨されます。

ときに「慈善アプローチ」という言葉を使って 依存を生み出すような 援助の方法を表します。慈善自体は、寛大さ(私たちが強く支持する価値観)の基に成り立っているわけですから、悪いことではありません。

しかし「慈善アプローチ」で意味されるのは、貧しい人々が自立するのを促さないような方法で彼らを助けてしまうことです。受領者が寄贈者に依存してしまうような贈り物は、寛大ではありません。それは貧困を継続させてしまいます。それは寄贈者を寄贈者のままでいさせるものです。助けを必要とする人々に何かを寄付すれば、彼らは一時的に楽になるでしょう。そして彼らが再び助けを必要とすれば、振り出しに戻ってしまうのです。

これが悪いことだという意味ではありません。これは人間の性質であり、全ての生物の生存の本質です。

ある人や集団に自立してほしいならば、彼らは最初に何かを求める必要があります。そしてあなたが彼らにそれを自力で取得するための方法を教え、彼らが再びそれを求めて来ないようにします。もし彼らが何かを無料で受け取れば、その物にどのくらい価値があって、それを得るのにどんな努力が必要か分からないままです。

このサイト上で何回か、 強化 方法を説明するのにスポーツの例が使われていたのを覚えているでしょう。コーチが選手のために腕立て伏せをしたり、シュートの練習をすることはありません。より強く有能になるべき本人が努力しなければならないのです。

もう一つの例は理学療法(リハビリ)です。仮にあなたが腕に怪我をして動かなくなったら、理学療法士に助けを求めます。理学療法士はあなたの腕が動くように動かし、どこが運動されるべきか見せます。あなた自身がその部分を動かすのを練習しなければなりません。それは痛い不快な作業です。しかしあなたは回復したいのです。結果的にあなたは元の腕力を取り戻し、もう理学療法士に診てもらわなくても大丈夫になります。

コーチが選手の代わりに腕立て伏せをしても、選手は強くなりません。理学療法士が患者の代わりに運動を練習しても、患者は回復しません。そして訓練士が共同体のために全ての活動を行えば、共同体は依存したままで、貧困は維持されます。それは弱さです。

強化アプローチでは、まず最初にあなたは共同体が何かを欲しがっていること( ブレインストーム のセッションで明らかになるように)を確かめ、次にそれを取得する方法を市民に教えます。その取得の作業が、彼らを強くする練習(苦悶)なのです。

なぜその共同体を強化するのか?

共同体活発化の目的が権力・富・容量を増やすことなら、活発化される共同体はどのように選ばれるのでしょう?

世界は不平等な場所です。不公平、不和、特定の人々への残酷な行為が存在します。人生は不公平です。私たちは人生に目的が必要です。世界の悪を正そうとしたり、貧しい人々が自立して貧困から解放されるのを手伝ったりすることは、そのような目的です。一部の人は自分自身が裕福になるのが目的ですが、それはとても深みのない、やり甲斐のない目的ではないでしょうか(人は富を得れば得るほど、もっと欲しくなるので、満足することはないのです)。世界がいつか公平な場所になり、貧困が撲滅されるという、保障も希望もありません。しかしそのために努力すること自体に報酬があるのです。

比較的裕福な共同体の活発化と強化のためにエネルギーを使うことはできますが、それは貧しい共同体が強くなるのを助けることに比べたら意味深くないでしょう。このサイト上で説明されている方法は、豊かな共同体にも貧しい共同体にも適用されることが出来ます。

貧しい共同体のために活動することは、あなたの人生の意味を増やします。あなたの出身地であるという理由で共同体を選択することは、それと同様に適切であるかもしれませんが、それほど意味深くはないでしょう。

このサイト上の資料は主に収入の少ない、容量の乏しい、強化されていない共同体のために利用されることを仮定して作られています。それらを書くことは意味のある行為でした。それらの書類をネット上で公開することで私に給料は与えられません。これは貧困との戦争における要素(軍隊または武器のような)です。

「慈善は出身の土地で始められるべきだ」という言葉を引用する人もいます。彼らは自分の故郷の貧しい人々に寄付するために募金活動を行うこと(前述のように、これは貧困を終わらせない)を正当化しようと、その言葉を使います。不運にも、そのような人々はその活動が故郷で始まるべきだけでなく、故郷で終わるべきだと考えます。なんて視野の狭い、自己中心的な概念でしょう。

世界全体に人々が住んでいます。私たちは皆、互いと関連しています。私たちは人類という一つの大きな家族です。孤立した貧しい共同体の市民は、私たちの兄弟・姉妹です。彼らを助けることができれば、私たちの人生には意味があります。その助けをする際は、彼らが私たちの援助から独立するように、彼らが将来に自らを助けられるように、助成することに集中すべきです。

訓練士としてのスキルをどの共同体のために使うかを選択できるときは、世界で最も収入・権力・容量の少ない共同体を選ぶ方が、より意味深い(そして世界的影響の大きい)です。

社会的作業としての強化:

このサイト上で何回か説明されるように、貧困とは社会的問題であり、個人の金欠とは違います。私たちが分析・観察・干渉するにあたって、社会レベルと個人レベルを見分けることが重要です。

共同体とは 社会組織であり、個人ではありません。そして単なる個人の集団ではなく、もっと深いものです。それは独立体であり、「超有機」(それを組成する個人を超越する)であると形容されることもあります。

個人に会って交流することは容易です。それに対し「共同体」とは、原子や太陽系のような科学的モデルであり、一度に最大でも一部しか観察されず、全体が一度で観察されることはありません。( 七人の盲人と一匹の像の話を参照。)共同体とは個人のように振る舞うものではありません。

私たちは時として共同体を 擬人化 (まるでそれが人間であるかのように考えること)しますが、共同体は人間というよりも社会的アメーバの方でしょう。

個人を身体的・精神的に強くすることも、共同体を容量・富・権力において強くすることも可能ですが、それらは同じことではありません。私たちの訓練士としての仕事の中で、共同体が人間であると思って仮定・予期しないよう注意すべきです。そう考えるのは簡単ですが、それは間違っているのです。

あなたが訓練士として活動する共同体では、個々の市民を目にしたり、彼らと共同作業する機会はありますが、あなたの狙いは共同体という社会組織であり、その全体像を見ることはできませんが、それに間接的に働きかける必要があるのです。

そうなれば、共同体強化において成功するためには、あなたが社会組織・社会レベル・社会の本質を理解することが必須です。また個人と共同体と社会の関係について理解することも必須です。

このサイト上では理論やイデオロギーは省略し、実践的なガイドライン・方法・テクニックを強調していますが、あなたが力を発揮するために、社会学の科学、社会組織としての共同体の本質、そして社会学的視点を学ぶことも推奨しています。

しかし社会学は、例えば化学や天文学のように正確で予測可能ではありません。なぜなら社会の変化に影響を及ぼす要素が多すぎるからです。また共同体やNGOなどの社会組織が、直接見ることの出来ない構図・モデルであるため、正確な予測がより難しくなっているのです。

いずれにせよ、あなたは社会的視点について理解を深めるという職業的目標、そして目に見えるもの(個人の行動、社会的・経済的統計、出来事、人口学のデータ)によって明らかになる社会的要素を理解するスキルを発展させるという職業的目標を志す必要があります。あなたがそうするのを助けるため、2つのモジュールを使って「強化の16要素」を解説しています。一つは(NGOやCBOのような) 組織の容量を発展させる ことに集中していて、もう一つは共同体の容量の 増加(または減少)を測る ことに集中しています。それらの16要素は大抵、個人の性質を経由せずには観察されず、社会的作業としての強化作業を注意深く詳しく考えることを助けます。

なぜ参加なのか?

強化とはあなたが共同体に「する」ものではありません。強化または容量発展の作業とは社会的作業であるため、それは共同体自体が経験しなければならないものです。その市民でさえも、個人個人では共同体を発展させることはできません。それは共同体全体が生物のように成長する(超組織、社会組織)ことだからです。

成長や社会変化を促すための努力を 社会工学と呼び、それに影響力があるものの、あなたの望む影響からは程遠いです。私たちの方法では、共同体が行動を起こすよう促します。

その行動はよく「企画」と呼ばれます。ある 企画を実施することで、共同体がより強化され、さらなる容量を増やします。共同体が従事する活動が、それを強くする運動なのです。

前述の通り、人々が強くなるためには苦悶しなくてはなりません。訓練士が使う基本的な方法とは、第一に共同体全体が何を望むのか明らかにし、そして彼らがそれを達成するまでの戦いにおいて誘導することです。

外部者は共同体の望むものを決めてはいけません。彼ら自身が目標に合意しなくてはならないのです。それが、彼らが意思決定に参加しなくてはならない理由の一つです。彼らが最も望むものを判断するには、まず彼らの参加が必要なのです。

ブレインストーム のセッションを行うことは、彼らの優先目標を判断するのに役立つ、このサイト上で解説されるテクニックのうちの一つです。正しく行われるとき、それは(数名や一部の党派ではなく)社会全体の選択を判断する作業となります。

その後は策略(優先目標を達成するために追う手順)を決定します。ここでも再度、その策略を選択する手段は複数ありますが、共同体全体の意見に添えるような方法が最も適切なのです。成功には彼らの参加が必須です。

企画が何であれ、それには入力と出力があります。入力とは企画に費やされる資源です。出力とは実現された目標です。入力の一部は(政府も含め)外部からの寄付で得られますが、共同体自体や市民たち本人も貢献しなければなりません。意思決定に参加したように、彼らが資源の貢献もすることが推奨されます。

監視とは、見過ごされる傾向があるものの、どの企画においても必須な要素です。共同体は企画の監視にも参加すべきです。市民は、企画が計画通りに進められるのを見届けることを、外部者(寄贈者や活動家)だけに任せてはいけません。

企画を実施するにあたり、市民は彼らが欠くスキルに気付くかもしれません。それは経理や報告や技術的なスキルであるかもしれません。もしあなたがそれらのスキルを彼らに教えることができれば、その訓練も参加方式であるべきです。なぜなら人々は単に講義を聞くよりも、実技を通しての方が効果的に学ぶからです。

強化の作業の始終において参加方式が推奨されます。参加が強さに貢献するのです。

国家の発展:

1950年代と60年代にかけ、多くの国で植民地時代が終わりました。すると、国々がより自立し強くなり、貧困が終結するという希望が高まりました。

実際はそれとは非常に違っていて、貧困と貧しい人々の数が増えるにつれ、楽観主義は落胆に代わられました。それには様々な歴史的原因がありました。それは新植民地政策、複数国家企業(それぞれが貧しい国々の集合よりも豊かで裕福)、企業の文化のグローバリゼーション、素養と知識を欠いた指導者、などなどです。色々な人がそれぞれ違う理論を説いています。

貧困の5大要因において、私たちは問題の (1) 歴史的原因と、(2) その持続に寄与する要因とを分けて考えています。これは実用的な目的のためです。私たちは昔に戻って歴史上の出来事を変えることはできません。私たちが見ることができるのは現行の出来事であり、どんなに少ない影響であろうと与えることができます。このサイト上の訓練教材は主に共同体の活発化に従事する訓練士(そしてそのマネージャー、計画担当者、企画担当者、そして管理者)のためを狙いとしています。

性別に関するモジュールでは、私たちは「世界的に考え、地元で活動しなさい」というスローガンを掲げています。 それはここでも当てはまります。私たちはいかに国家が強くなり自立・独立するための貢献ができるでしょう?その国家に強く自立した有能な共同体があれば、その国は強くなるのです。

訓練士としてあなたが活動することで、国家の性質を直接変えることはできませんが、1つ以上の共同体が強くなるのに貢献することはできます。また他者に方法とテクニックを伝授することで、共同体が強くなるのを間接的に助けることができます。また議会・官僚・規制に影響を与えることで、共同体の自立と強化を促し支持するような環境に貢献することもできるでしょう。より多くの共同体が強くなれば、国家はより利益を得るのです。

ジョゼフ・マリー・ド・メーストル伯爵の言葉に次があります:「すべての国には、素晴らしい政府を持つ権利がある」(手紙53番の1)。これがアメリカ第二代大統領トーマス・ジェファーソンの言葉だと誤解されることがよくあります。望まれるような共同体にしようとあなたが努力すれば、共同体がそれに値する政府を得ることに貢献できるのです。

希望的観測や酒場の討論によって、国家の発展は実現しません。それは多くの展望ある人の努力による小さな安定した変化が何百も集まった結果、実現されるのです。あなたもその一人になることができます。このウェブサイトはあなたがその努力に従事できるようにツールを提供しているのです。

最良なものを発見し増進する:

楽観主義を含むポジティブな姿勢と、挑戦しつづける意志は、この活動において単なる飾りではありません。それは必需品です。

どの人間も、どの共同体も、どの社会も完璧ではありません。私たちは誰もが間違えを犯します。批判のために時間と体力が費やされれば、間違いは強調され、その改善が阻害されてしまいます。あなたが会う人たちの中には、約束を果たさない人、合意を守らない人、嘘をつく人、不器用な人、効率が悪い人、不正確な人、不正直な人、誤解を招く人がいるでしょう。生まれた時から、人生が公平である保障をされたことはないでしょう。それが人生というものなのです。

このような活動において成功するためには、あなたはポジティブな姿勢を保ち、失敗が必然的だと受け入れ、失敗の後も「続けることを続ける」意志を持つことが必要です。

人々の力を発揮させるには、彼らの弱点や失敗を目撃してもそれについて言及せず、彼らの長所と達成を賞賛し、彼らは力を最大に発揮することが求められると伝えましょう。

弱点ではなく、長所を活かして発展させましょう。

結論:

なぜ共同体が強化されるのを手伝うのでしょう?そうすれば世界が改善されるからです。貧困は減らされます。そのための努力は、意味のある行動です。強化方法とは何でしょう?慈善(無料で寄付を与える)は共同体を弱くします。共同体が自らの望むものを判断し、その取得のために努力することで、それは強くなるのです。

どの共同体の自立の助成にあたれば良いのでしょう?最も助けを必要とする、最も貧しい、容量の最も少ない、権力の最も少ない共同体を選んでください。

なぜ貧困と発展は個人に当てはまらないのでしょう?貧困は社会の問題であり、その解決には社会的方法が必要だからです。

共同体全体に影響を与えなければ発展は起こりません。なぜ市民は共同体発展に参加する必要があるのでしょう?なぜなら彼らの参加なしでは、発展は起こらず、改善は維持されないからです。

国家の発展のための努力をしないのか?共同体が強くなれば、それは国家の純粋な発展に貢献します。国家に直接働きかけるのは可能でない一方、訓練士として共同体の強化を助成することで実用的な活動ができるのです。

それでは失望、不正直な人々、嘘をつく人々に関して、どうすれば良いのでしょう?共同体の活動においてポジティブな姿勢が必要とされます。失敗を受け入れて、それを乗り越えましょう。私たちは皆間違えを犯すものだと認め、批判することを避け、長所を強調して発展に活かしましょう。

あなたの活動は、たとえ歌にならなくても、賞賛に値する、価値のあるものです。

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ワークショップ:


A Workshop

© コピーライト 1967年, 1987年, 2007年 Phil Bartle
ウェブデザイナー Lourdes Sada
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最終更新日:2011年10月27日

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